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――五年後。四月。
今年も桜が咲く季節が来た。桜が咲く季節になると、いつもあの頃のことを思い出す。沙希はあの年の桜を、その目で見ることはできなかった。
涼介とは、今も頻繁に会っていて、飲み仲間だ。家では言えないような愚痴とかを、ひたすら聞いてくれる。涼介はまだ税理士受験生だ。実家の事務所を手伝いながら、その事務所を継ぐべく、今なお必死に頑張っている。とはいっても、すでに官報リーチ。最終科目の『法人税法』で躓いていて、三年連続玉砕した。この前会った時には、今年は絶対に受かりそうと豪語していたが、今年はどうだろうか。
華とは、最近は会っていない。会うのは一年に一度、沙希の好きな桜を見に、みんなで集まるときくらいだ。税理士試験は途中でリタイアした。何もみんなが税理士試験合格というゴールに辿り着けるわけではない。そういう選択をする人もザラにいる。今は、介護の仕事についていて、ケアマネージャーとかいう資格の勉強をしている。
璃子は、あの試験で『不合格』を知り、潔く税理士試験から手を引いた。俺の人生を本当に色々と掻き回してくれたが、それは今となっては、懐かしい思い出だ。そして、あの年の年末、できちゃった婚により入籍した。
「こちら、確定申告書の控えになります!」
「先生、いつもありがとうね。」
依頼主の高橋さんが俺にお礼を言う。優しい小柄の大家さんだ。高橋さんは、十年前から賃貸経営をしていて、ご縁があって、俺に依頼をして頂けるようになった。こうやって、いつも所得税の確定申告が終わった後、その控えを渡しに高橋さんのお宅にお邪魔する。お茶を飲みがてら、その一年にあったことを聞くのは、俺の毎年の楽しみだ。
「いえいえ、お役に立てて良かったです。失礼します!」
玄関のドアを閉める。お辞儀から直った俺の胸元には、沙希の税理士バッジが光る。
「よし、依頼完了。」
俺は晴れて、税理士になって独立した。あの日、沙希にもらったこのバッジを、今も大切に、スーツの襟に着けている。空は青く澄み渡り、公園を目指して歩く。もし沙希が、この景色をもう一度見れるとしたら、何を感じ、何を思うだろう。
「あの日から、もう五年も経つのか。」
公園には、満開の桜が、水彩画のように漂っている。
「よっこらしょっと。」
俺は公園のベンチに腰掛ける。公園では、子供とママが、ゆらゆらとブランコに乗っている。
「沙希は、この桜を見ることができず、その両目の光を失った。」
俺は、五年前のことを思い返す。あの時、あの決断は、正しかったのだろうか。あれ以来、その難題を自問自答している。未だに答えは出ていない。スーツの胸ポケットには、沙希からの手紙を大切にしまっている。あの時もらった言葉を胸に、今日も今を生きている。
「俺は、沙希が望んだ姿になれてるかな。」
公園で遊んでいる親子を見ながら、俺は目頭が熱くなった。自然と目には涙が溜まる。
「篤!お待たせ!」
男の人の声が、俺を振り向かせる。涼介が来た。今日は年に一度のお花見だ。沙希が好きなこの満開の桜の下で、『金時会』が集結する日である。遅れて華も来た。
「ごめん、遅くなって!」
華は息を切らして、俺と涼介に言った。
「これでみんな揃ったね!」
俺は涼介と華の方を見て言った。
「お~い!みんなも来たよ!」
俺は、遠くで遊んでいた子供とママに、声を掛けた。俺の元に、子供が駆け寄ってくる。
「パパ~!今日のお仕事終わり~?」
俺の長女の咲良だ。
「うん、今日のお仕事は、もう終わったよ!」
俺は、涙を拭いながら応えた。その後ろからは。
「あっくん、お疲れさま。あれ、咲良~?」
「ママ!ここだよ!ここ!」
微笑ましい光景だ。沙希は、あの日を境に、両目の光を完全に失った。
その先の人生を、生きるために。
そして、光を失った沙希の手を娘の咲良が引いている。
「じゃぁ、咲良、あとで滑り台しようかぁ!」
沙希は元気に咲良に言った。
「いやだっ、今が良いっ!」
今、俺はとても幸せだ。この目に映る、季節の移り変わり、子供の成長、その全てが、心に染みる。『金時会』のみんなとも、今なおこうやって繋がっている。沙希がもし、ガンに侵されず、今この瞬間を迎えたら、何を感じ、何を思っていただろう?もしかしたら、あの経験があったからこそ今があるのかもしれない。あの時も、みんな、毎日を必死に生きていた。確かに、今、沙希の目の前は真っ暗かもしれない。でも、その分、人の優しさ、家族の暖かさ、気温の変化、季節の移り変わりなどを、人一倍感じられるようになったと言っている。きっと、心の目で、毎日色々なことを感じているのだろう。
俺は、無邪気に走る娘の姿と、それを追う沙希の後ろ姿を見ながら思う。
「沙希、今、その目に映るものは。」
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